周匝茶臼山城

別名-  付近住所 岡山県赤磐市吉井町周匝 現在 城山公園
2008/8/25 碑・案内板・模擬天守アリ 日本城郭大系


佐々部氏 位置
岡山県立備作高等学校の背後に聳える茶臼山(標高約180米)の上に在り前は吉井川を隔てて飯岡平野を望み、景観は非常に勝れている。
遺構
本丸は東南に向って広い楕円形をなし、二の丸はその西続きの山頂に、とりでは津山川に臨む大仙山の上に在り、他に出丸・太鼓丸・空堀・井戸・小池・土塁などの跡が遺り、当時として相当の防備を持つ代表的な山城である。
事歴
戦国の昔、安芸の国より来た佐佐部亦次郎が改築を行い、天神山城主浦上宗景に属して勢を振ったが、子の勘斎貞利に至り、宗景を亡ぼした宇喜多直家方の延原弾正を撃ち破ったことにより、天正7年3月直家に攻められて、城と運命を共にしたのである。なお津山川に面した一ノ谷には勘斎の子の千千代の墓が在る。

周匝茶臼山城址・大仙山城址の郭配置概略図
 この地は美作国と備前国を結ぶ交通の要衝であり、国境の要所であるため、歴史上、重要な場所であった。
 城の築城時期は不明であるが、概ね中世、享禄・天文の頃に築かれたものと推察される。
 城郭の形態は連郭式と呼ばれ、二つの尾根上に総延長約8百メートルにわたって土壇築成と削り出しによって城郭施設が構築されており、現在も比較的に良好な状態で遺存している貴重な城址である。

     

HOME